皆さんこんにちは!今年度スイングの部長を務めさせていただいた竹内孝太と申します。まずは、後輩のみなさん、今年度の活動につきまして例年のように充実した部活動を作ることができず本当に申し訳ありませんでした。またOB、OGの先輩方におかれましても、例年のように合宿等でご指導していただく機会などが作れず申し訳ありませんでした。コロナ感染症の拡大の影響とはいえ不甲斐ないばかりです。
ここからは僕も少し自分語りをさせていただきたいと思います。
僕は入部した当初からずっと目標にしていたことがあります。それは、当時の4年生の先輩であった江間先輩のようになることです。江間先輩は大学からドラムを始めたにもかかわらず圧倒的な表現力、音量、安定感、曲へのこだわりがあり当時1年生の僕は衝撃を受けました。その日から江間先輩のようになりたい一心で練習をし始めました。
その甲斐あって2年生になる頃には、周りの先輩からは「上達したね」と言ってもらえることが多くなりました。僕自身も以前の演奏に比べると叩けるフィルやビートの種類が増えたと感じましたが、目標には程遠かったです。ただ、2年生という年は僕にとって非常に成長できた年になりました。その年の集大成であるリサイタルでLove for
saleとMacheteを叩くまでになれたからです。正直僕なんかが叩いていいのか、そもそも本当に叩ける技術が身についているか。合奏に参加したくない日や休んで逃げてしまいたい時ももちろんありました。でも、そこを乗り越えた先には尋常じゃないほどの達成感と、お褒めの言葉を色んなひとからいただけました。
この経験をしてからまた一段と部活が楽しくなりました。全力で何かに取り組んだ後に得られる達成感を味わいたい、そう思い3年生では山野への参加を希望しました。実際に山野の練習は辛かったですし必然と技術の向上が余儀なくされました。ですが、自分があこがれた舞台、江間先輩も立ったあの舞台に僕も立って演奏したい一心で最後まで頑張りぬくことができました。苦労した分、予選1位通過は本当にうれしかったことは今でも思い出されます。
同年、東海大会でも2位という結果を残した際も非常に嬉しかったです。僕は変拍子の曲を演奏しましたがこれは苦戦した曲の一つです。初期は拍を数えることで精いっぱいでしたが、初めての大会へ参加するドラムの後輩であるけんしろうの頑張りに感化されて、僕も練習しなきゃとモチベーションを上げることができました。
そして4年生になりました。学校の授業もほどんとありませんでしたので、バイトと部活に全力を注げる1年になるだろうと意気込んでいた矢先、突然の部活停止。当初この部停はすぐ解除されると思っていたのが間違っていました。次に部活動が再開できたのは9月ごろでした。それに再開できたと言っても部員全員で集まって合奏することはできませんでした。部室は使用不可のため毎回講堂に楽器を運び毎回片付けまで行い、練習時間は16時40分~18時とかなり短く、部員のモチベーションは下がる一方、部活勧誘もほとんど行えず新入部員を多く入れられず、一方ではこの歴史ある部活を終わらせてはいけないという責任感、またこの時期就職に向けての資格の勉強などもしており、今思うと様々なことが重なりかなりつらい時期だったと思います。
部活が再開してからは、部員と少しずつ会う機会が増えて何気ない会話をしましたが、それだけでも元気をもらってました。あんな状況の中、部活に参加してくれた子本当にありがとうね。感謝しています。
そして11月、12月は山野の演奏動画作成に全力を注ぎました。動画作成、音源作成に関しては知識ゼロからのスタートで試行錯誤してやっとの思いで作り上げました。僕は演奏動画を作成するにあたって、視聴者さん、演者両方が楽しめる作品を目指しました。その甲斐あって12月末に行った動画撮影は今年で一番楽しく、少しだけコロナ前の部活の雰囲気を味わえた気がしました。みんなの予定がなかなか合わずやめてしまおうかと思いましたが、諦めずに最後までやり抜いて本当に良かったです。山野メンバーのみんな本当にありがとうね。
僕がスイングで過ごした4年間はこれからの人生で一生忘れることはないと思います。がむしゃらに練習したこと、人前で演奏して楽しんだこと、山さんをいじりたおしたこと、最高の部員のみんなに会えたこと、思い返せばたくさんの思い出が思い返されます。本当にこの4年間楽しかったな...
本来であれば、2月の上旬も活動予定でしたが緊急事態宣言によってそれも叶いませんでした。僕はこの時点で今年度の部活引退を考えていたので幹部にこのことを相談したところ反対意見はありませんでした。やっと重荷がおりたと思いました。解放感もありました。ですが、幹部とのLINE会議が終わり通話を退出すると自然と涙がでてきました。決して大げさな表現をしているわけではなく、本当に涙がでてきました。無事おわったことへの安堵からなのか、もしくは悔しさからなのか、僕にもわかりませんでした。でも一つ言えることはそれだけ全力で部活をやり抜いたということだと思います。
何度も言いますが、今年は僕にとって非常に辛い1年でした。ですが非常に大切な1年でもありました。勇気をもって行動すること、仲間を頼ること、スイングという場所が僕にとってどれだけ楽しい場所であったか、これらのことに気づかされました。本当にスイングの一員になれてよかったです。
僕はこれからも音楽を続けていくつもりです。こんな歯切れ悪く音楽やめるなんて悔しすぎます。もっともっと上手くなりたい、もっともっと演奏したい気持ちがあるのでまたどこかで会ったときは声かけてほしいです。もちろん部活にも遊びにいきます。
ですから、後輩のみんなこれからもSinging All Starsをよろしくお願いします。おそらく来年度も苦しい一年になるかもしれませんが自分たちが楽しむことを忘れなければきっと大丈夫です。こうしないといけないという決まりは何一つありません。自分たちで考えて行動して楽しむ。それでいいと思います。
困ったときはきっとOB、OGの先輩方が手助けしてくれるでしょう。もちろん僕もその一人でありたいです。頼ることも大切だと思います。頼れる先輩がいるそれだけで心の支えにもなると思います。だから頑張ってね!コロナなんかに負けないでね!たくさんの人の支えがあることを忘れないでね!
長くなりましたが、これに今年度4年生のブログリレーを終了したいと思います。
この4年間かかりのあったすべての方々に感謝します。本当にありがとうございました。そしてこれからもSinging All Starsをよろしくお願いいたします。
部長 竹内孝太
皆さん、こんばんは
今年度コンサートマスターを務めさせていただきました、孔明こと辻直広です。
突然ですが、山野ビックバンドジャズコンテスト皆さん見ましたか??僕のソロかっこよかったですよね、惚れないでくださいよ❤️
冗談はこれぐらいにして真面目に書いていきたいと思います。同期からは文が短いと予想されていますが、その通りですそんなに長く書くつもりはございません。思ってることがない訳ではないですからね!思うことがありすぎて書き切れないからですよ!
4年間のことを書くと長くなるので昨年のことについて書いていきます。
昨年は何もできない年でした。
未知のウイルスによって世界中が大混乱、僕たちにも影響を与えました。スイングの活動も出来なくなり、自分の無力さを痛感し、いつしかスイングのことを考えなくなりました。
こんな文書いてるとネガティブなことがバレますね笑
気を取り直して、そんな時に引っ張ってくれ、動いてくれたのが同期の部員たちでした。今後どうやって部活を進めていくかや録音の機材を手配してくれたりと本当に頼れる同期だと思いました。また、こんな状況の中でも部活動に積極的に参加してくれたりと同期があのメンバーでよかったなと本当に思います。同期のみんなには嘘だろと思われてると思うのですが、本当なんですよ!
もちろんお世話になった先輩方や、僕たちについてきてくれた後輩たちも出会えてよかったと思ってますし、大好きです。何度も言いますが本当にです!!
思いを伝えたところで、最後にネガティブな僕ですがポジティブに昨年のことを考えてみました。
スイングの活動としては不完全燃焼でやり切れない思いがありますが、だからこそ今後その思いを晴らすために僕はジャズを続けていくと思います。またいつか皆さんに音楽を通して会えたらいいなとも思います。それまでには僕も練習して上達しておきますね!
明日は我らが頼れる小さなリーダーです。きっと感動させてくれると思います。乞うご期待!
おはこんばんにちは。4年生バリサク担当のぐっさんです。前の2人みたいに遅刻したり締め切り過ぎたりせずにちゃんと余裕を持って提出しています。
あだ名に「さん」が付いていると自己紹介の時にどこまで言うのが正解なのか4年間考えても分からず今日を迎えました。Tbのやまさんは「やま」だけでも伝わるからちょっとズルいです。ところでみんなブログリレーめっちゃ書きますね...最初のハクのブログリレー見たときにちょっと書きすぎたかなぁと思ってたのにそこから3000字とか4000字普通に超えてきてかなりビビりました。ちなみに自分が書いたやつは文字数も内容も大したこと無いのでササっとスクロールして最後の数行だけ読んで下さいー。
はい。今年度お疲れ様でした。
自分達の代だ!やりたい曲やるぞ!大会曲決めるぞ!って張り切ってから即部停の絶望感半端ないです。それにサックス隊は通常曲と山野曲合わせて3人もトラとして来ていただいていたので本当に申し訳ない気持ちで一杯です。埋め合わせって訳じゃないけど緊急事態宣言開けて予定が合えばご飯行きましょう。多分ゆうやが全部奢ってくれるので焼肉食べ放題とか行こう。
長いようで短いスイング生活でしたが総合的に見ればとても楽しい4年間だったと思います。自分がスイング大好きなのはわざわざ書かなくてもブログリレーを見てくれている人は全員ご存知だと思うので書きません。
ただ2年生の時はしんどかったです。初めての大会で周りが全員自分より桁違いに上手い人しかいなくて、とにかく足を引っ張りたくないの一心で吹いてました。
東海に関して言えば先輩が上手いのは当然として同期が孔明とかんなちゃん、1年生の後輩も数人いたけど全員馬鹿みたいに上手くて自分だけ場違い感半端なかったんですよね。ビッグバンド歴は部員の誰よりも長いくらいなのに実力は誰よりも低いっていうのでメンタルがゴリゴリ削られてました。学祭で誘っていただいたlucky
chopsのコピーバンドでもやらかして、この年は最後まで周りについていけないまま終わってしまった挫折と後悔まみれの年でした。
ちなみにこの年に練習していた「Sunny Sky」は今まで吹いた曲の中で1番好きな曲です。まだ聞いた事が無い方がいれば是非聴いて見てください。今もLINEのプロフィールBGMにしていますが多分死ぬまで変わらないと思います。
そしてそこから暇さえあれば部室に行って何か吹く生活を送るようになりました。結果、管理棟のおばちゃんには顔パスで鍵渡して貰えるようになったり、先輩や同期から変態呼ばわりされたりしましたが、それ以上に普段部活中に話したりできない先輩や後輩と話す機会が出来て結構楽しかったです。
要約すると大変でも頑張りゃ良いことあるから妥協せずに行こうぜみたいな感じです。
自分語りしすぎて完全に痛いやつなのでちゃんとブログリレーっぽい事書きます。
〜OB・OGの先輩方へ〜
3つ上の先輩へ...先程は大会メンバーになってからの事を書きましたが、そもそも大会に出たいと思うようになったのは先輩方の代の山野曲「水底の都」を聴いた時からです。どのパートの先輩も正に『レジェンド』って感じでした!
2つ上の先輩へ...少し上で1番しんどかった年と書きましたが、それ以上に楽しかった年でもありました。誤解を招く前に補足しておきます。この年から一気に先輩と同じ曲を担当することが増えてめっちゃ楽しかったです。死ぬまでにあと1回くらい一緒に楽器吹きたいです!
1つ上の先輩へ...先輩方の代では今まで参加したことのないイベントなどにも参加できたり大会でも良い結果を残すことができたりしてとても楽しい1年でした。去年度は追いコンできないまま終わってしまったのでまたどこかでお酒とか飲んで駄弁りたいです!
最後にバリサクの先輩であるチカ先輩とマリー先輩は4年間ずっと目標でした。今年で楽器初めて10年目になりますが、バリサクの先輩はお二人が初めてでした。スイングで一緒に活動できたのは1年間という短い期間でしたが本当に色々な事を教えていただきました。感謝してもしきれないです。
〜後輩へ〜
1〜3年間色々迷惑をかけたけどありがとう。自分は他の同期と比べると話が得意ではないし、教えるのも上手い訳ではないので絡みづらい先輩だったんじゃないかなと思います。特にサックス隊の後輩に対してはもうちょい何か工夫してやれる事があったんじゃないかなと思う時があります。来年のサックス隊は人数ギリギリで過去最高クラスで大変だと思うけど、たくさんの同期がいるのでみんなで支え合って最後まで頑張って!応援してます!
〜同期へ〜
ここまではまとめてのメッセージでしたが同期だけは個別でちょろっと書こうと思います。
ハク:最初にもってきたけど何書けば良いか思いつきませんでした。ごめんなさい。
とも:講義中ずっと寝てるのに単位取れるのか不思議で仕方ありませんでした。
かんな:会議でも練習でも周りを引っ張っていく力が凄くてめっちゃ尊敬してました。
タイタン:love for sale流した時のリアクション面白くて好きです。
やまさん:何回も足として使ってしまってごめんなさい。またポケモンやろうね。
かにえ:多分自分よりサックスの後輩と馴染んでたね。そのコミュ力ください。
もなか:今年度1回でも良いから飲み会バージョンのヤバいもなか見たかったです。
ゆうや:結局最後までゆうやの事よく分からんかったけどなんか面白かったです。
るな:角刈りって呼ばないでください。
孔明:自分含め問題児が多かった代だけど引っ張っていってくれてありがとう。
しばた:同期の中で1番の努力家で最高の部長でした。本当に4年間ありがとう。
何人か適当に書きましたが苦情は受け付けません。
他大学の学バン仲間へ
キャンパラ、オータム、対バンなど色々なイベント時の駄弁ってる時間がめっちゃ楽しかったです。今年度はイベントも飲みの予定も消えちゃって残念だけど面白い人とたくさん関わる事ができて良かったです!
特にバリサクの同期は最高でした。3年生になるまでほとんど交流してなかった事めちゃくちゃ後悔してます。割とマジでスイングの同期より短い期間で仲良くなれたんじゃないかな...?演奏面で刺激をもらえるだけじゃなくバリサク会では馬鹿な事たくさん喋ったりしてめちゃくちゃ楽しかったです。多分またリモートになりそうだけどバリサク会やろうねー。
以上!
ここで一旦引退という形にはなりますが、気付いたら色々買っちゃったし社会人になってからも楽器は続けたいので機会があればどこかの社会人バンドとか入れたら良いなって思ってます。
そして最後に忘れちゃいけないのが宣伝ですね!
2/13(土)と2/14(日)に開催される第51回山野ビッグバンドジャズコンテスト(今年はコンサート)にスイングも参加します!スイングは初日の3番目に出演します。今年も愛学色全開のステージなので是非ご覧ください!
明日は今年度のコンサートマスターを務めたあの方!🎺☕️🌾
ご無沙汰しております。アルトサックス担当、るなです。
前の人からブログリレーのバトンを受け取りまして、、まあーーー、ここでも遅刻する野郎でしたね。本人前日までに提出してるのに遅刻させられてるのもこれまた日頃の行いg…。半年前から書き溜めてたって卒論かよ。(あ、、)次回作てなんやねん。やりにくいわーー。
みんなのブログを読んでいて、けっこう書くんだな〜笑笑と焦って書いています。現在2/11の午前2時。この文面も広報の後輩にお願いして載せてもらってるんですよね。私も昨年やりました。そして締切過ぎててごめんなさい。(土下座)
さて、今年度はなーーーんにもできなかったので、思い出がないですね。だらだらと私の今までのスイング生活の振り返りでも書きます。思い出したことを適当に書いていくので興味ある人だけお付き合いください。
私のスイング生活の始まりは新歓演奏会に行ったところからだったと思います。いつかのブログリレーでも書いた気がするけど、私も愛学生ではありません。しかも、いまのサックス同期の5分の3が他大生で締めているっていう笑。面白いよね。あ、でも、初期メンは愛学生4人と私というメンツだったんですよ?みんなどこ行っちゃったのかなあ(闇が深い)。
隣の大学でもないのに、なんでわざわざスイングに来たのってよく聞かれたな〜。
スイングに来たのは、ビックバンドをやってみたかったのと山野に出てみたかったから。
高校の友人がビックバンドやっていて演奏とか観に行ったりして元々興味があって、大学では違う音楽もやってみたいなって気持ちがありました。
けれど、うちの大学にはないから、県内でビックバンドやってる大学をネットで調べて、その中で、今はないかもしれないけど、YouTubeの演奏動画とかSNSとか見てスイングを見つけました。
山野は、大会に出たかったから。私は評価されるのは嫌いだけど大会とか1つの目標に向かって皆で曲を作っていくことが好きだったから、大学でも大会に積極的に出たりしているバンドが良かった。
それで勇気を出して、愛学まで行って新歓演奏会に参加して、やっぱりやってみたいなって気持ちがあって入部しました。そんなところかな。今でこそ、普通に出入りしているけど当初はヒヤヒヤしながら、やばい声かけられたら出入り禁止かなとか思いながら出入りしてました笑。
今はもう車で通ってるけど、免許とる前は自分の大学から1時間半かけて通ってました。それまで、1年生の頃は全然練習できなかった。皆みたいに空きコマにフラ〜っと来て練習とか一切したことがなかった。
だから技術面では、本当に成長しなかった。
というか、白状するとサックスを始めた1年目から向いてないなって分かってました。せっかく先輩方にも指導してもらったり、教えてもらったことも吸収できてなくて楽器吹くのもしんどいなって時期もありました。高校まで吹奏楽部でフルートやってたからアンブシュアとか口周りの筋力の使い方とか全然違うし、また一から楽器を始めるのは自分でもよくチャレンジしたなって思います。今でも噛みすぎちゃうの直ってないな。、
これ聞いて、じゃあなんでサックス選んだのってなると思うけど、サックスを選んだのは、フルートの持ち替えがあるパートだから。アルトサックスを選んだのは、軽量的に軽かったから。そんな不純な動機で希望してごめんなさい。でも、結果的にサックス隊に入ってよかったなって思います。他のパートだったら途中で辞めてたと思う。
私が入ってからのサックス隊しか知らないけれど、あのサックス隊のゆるい雰囲気は好きでした。まあ、サックス隊だからな〜みたいな。あ、ディスってません。ON・OFFが激しいだけです。メリハリがあるんです。楽器を持つと吹いてる時はみんな人が変わるんです。楽器持っている時はみんなかっこいいんです。ディスってないです。(2回目)
とにかく同期も先輩も後輩もみんな個性が強かったなって。てか、スイングの人ってクセ強い人多い?とか考え出したらキリがないな、やめよう。
ところで、何足も草鞋を履いてきた人と紹介されたけど、スイングってか、学バンやってる人みんなそうじゃない?って思うんだけどな、、でも、確かに。スイングにいる限り、多忙からは逃げられないですよね。私もその1人でした。
山野に出始めてからが忙しかったかも。毎日、週5で授業夕方までやって、日進まで行って練習して、空いた時間は全てバイト。掛け持ちバイトも一時期3つやりました。休みも月に2~3日あれば良い方っていう。(ちょっと盛りすぎ?)でも、そんな生活が2年生から2年続きました。
っていうか、学バンやってて教職とか実習ある人は特に大変なんだよ。私もリサイタルの2日後にすぐ実習とか9月合宿とオータムの間に実習入ったりとか。、練習する時間もなければ、実習の準備する時間もないしで、本当にしんどい。実習ある人は休めるなら休部してでも自分のペースでできるよう調整した方がいい。(実習経験者は語るよ。、)私はその時、人がいなさすぎて代わりがいなかったから休めなかった。
話が逸れてしまったけど、
特に3年生の時がしんどくて私の人生上1番頑張った。そして、スイング生活の中でも1番濃い時間だった。
3年生になって、アルトの人手不足により曲も増え、やった事のない楽器やったり、リードやったり、新しくやることだらけで余裕がなくて毎日必死でした。3ヶ月に1度は病院にお世話になるほど体調も崩してました。(ガチです。)山野予選前に1週間くらい声が出せなくなった時は本当に焦ったな。扁桃腺が弱いから疲れが溜まるとすぐ体調に出るんですよね。
それだけしんどかったけれど、たくさん目標を叶えられた年でもありました。山野や東海に出る、バンド曲でフルートを吹く、消極的だったけどリードやソロとか、ソプラノとかクラリネット笑とか役職につくとか?あとは、合バンに乗るとか
とにかくいろいろ経験させてもらいました。私、スイングでやりたかったことはほとんど叶ってるんですよね。有難いことに。
だから、4年生になる前に若干燃焼気味だったというか。いや、もちろん、4年生になってやりたかったこともあるんだけど。自分たちがスイングの舵を取っていく年になってしまったのかと荷が重いなあとも思ってました。そんな気持ちも持ちながらも、これから4年生になるぞ〜!頑張らなきゃな〜って思ってた矢先、まさかの1度も活動することなく終わってしまったこの1年。本当に悔しい以外の感想はないです。実は、今年度でスイング65周年なんですよ?私たちで65代目らしいです。リサイタルでは、周年を記念してこんなことやりたいな〜って考えていたことが全てパーになりました。イベントも大会も軒並み中止になってしまい最後にみんなで揃ったのいつだっけ?昨年の引き継ぎ式以来?今年度は全員揃うこともなく終わりそうです。幻の代になってしまいました。悲しい。
流行病のせいでステイホーム期間は家にこもりすぎて病みました。インドア派だけど、さすがにキツかった。、学校行けないし、人と会わないし、連絡とっても特に新しい話題もないし、部活も中止連絡とかばかりだったから、ピアノ隊のともがSNSリセットした気持ちも分からなくはなかった。みんなそれぞれしんどかったよね。今もまだしんどい状況が続いてるけど、負けないように元気だしていこうね。
私はこのまま時間だけが無意味に過ぎていくことに嫌気がさして、対策をしつつ外の空気を吸いに行ってました。
昔聞いた『心身ともに健康であること』って誰かからの受け売りなんだけど本当にそう思う。心も身体も健康じゃないと何やっても上手くいかない楽しくない。音楽も通じるところあると思う。身体が不調だと調子も出ないし、心が元気ないとやっててもつまんないし。だから、みんな前向きになれなかったのかなあって。
今まで当たり前に練習できてた日常がこんなにも恋しいと思ったことはないです。面倒くさいとか思ってた自分をぶっとばしてやりたい。また、いつか今までみたいに音を合わせられる日が来るといいなあ。楽器さえあれば1人でもできるけど、やっぱり合奏がしたい。音がハマる瞬間とかすごい楽しいし。あー、合奏がしたいよーーーー。
来年度は、せめてものリサイタルはできるといいなあ。私たちの代もいろいろトライしてみたけど、厳しかった。次の代は、諦めないでギリギリまで粘ってこれできないかなとか行動していってほしい。やらない後悔よりやって後悔!今年はもっと頑張れたかもしれないって後悔したことが多かったから。時間は戻ってこないものだから思い出を作ることを諦めないでほしい。後輩のみんな頑張って!
毎年リサイタルで感謝だとか伝えたいことを伝えたりするのですが、今年はそういった場がないのでここで簡単に伝えておきます。
先輩方へ
私は特に扱いにくい後輩だったと思います。たくさんご迷惑おかけしました。面倒見てくれてありがとうございました。また、ご飯でも連れてってください。
同期へ
マジで野郎ばかりでやってけるかなって最初不安でしたが何とかなりました。特別残す言葉はないかな。また、どこかで会えると思っています。
後輩へ
言動が危ない怖い先輩で迷惑かけてしまったこともあるかと思います。それでも先輩って呼んでくれて、関わってくれてありがとう。残りの学生でいられる時間を精一杯楽しいものにしてほしいと心から願っています。
サックス隊へ
うーん、手紙でも書くかな笑
なんかいろいろ伝えたいことあったけど忘れちゃった、、
それくらい色々あったんだよ。きっと。振り回してごめんね。一緒にやってきてくれてありがとう。
私は、人見知りするしコミュ障で誤解されやすい性質みたいだから人間関係はそんなに良くなかったかもしれない。
私は私というスタンスで生きているので特に人に媚びようとも思わないし、嫌いなら無理に仲良くする必要はないし、お互いに丁度いい距離感でいられれば良いって考え方だから。仲良くしようとか無理に距離を詰めようとはしませんでした。
それでも私と仲良くしてくれる人は有難いしこれからも関係性を大切にしていきたいです。
でも、まあもう少し愛想良く生きていたら良かったのかな〜とは反省しています。そう簡単には変えられないのですが。
そうだ、ともが写真載せてていいなーって思ったので私も真似しようと思ってたんだった
昨年のリサイタルの幕開け待機中に撮った写真〜。
今年も撮りたかったな。
来年こそ、この景色が見られることを祈っています。
今日まで関わってくださった皆さんお世話になりました。さよならではないです。とりあえず学生期間はお世話になりましたということです。
4月からは社会人になると思うとすでに鬱です。こんな人間でも人様の子どもを預かる仕事をします。不安です。人生の夏休みも終わりです。悲しい。
脱線しまくりの拙いブログもここまで!
私の番はこれでおしまい!読んでくれてありがとうございました。また、どこかでお会いしましょう〜
またね。
お次は、アイツです。サ〇ゼリアにある間違い探し並に写真を見返しても姿に変化がなかった人です。そう!角刈りがトレードマークのアイツです。さあ、何を語るのでしょうか。
おたのしみに〜
【ごあいさつ】
みなさんこんばんは、サックス隊員のゆうやです。
あのもなかからの紹介文だと、ガハハと笑えるような面白い文を期待されるかもしれません。
なんと今回まあまあ長い、面白さはあまりない文章となってしまいました。
カンナちゃんやタイタンのとか読んでて楽しかったですね。あの面白い文章を書ける能力がうらやましい。
試しに現在最長クラスのトモとかタイタンとかのを字数カウンターにかけてみたら4500字台、自分のは3500字くらいだったので、そんなもんの時間を空けていただけるとベストです。
半年前から編集に編集を重ねていたものだったから今から全部書き変えるわけにもいかないので、、短くて面白い文章を期待していた方はごめんなさい。
簡単にまとめろ!という方向けにまとめると「3年間本当に楽しかった、ありがとうスイング、フォーエバースイング」といったところです。
【目次】
・スイングと出会って変わったこと
・最後の一年間のこと
・スイングに入ったきっかけ
・やりたかったこと
・未来の世代に向けて
【スイングと出会って変わったこと】
1人でいる時間が何倍にもなって思うことがあります。人生的な意味でもスイングに入ったことで学んだことが多い。
もし「自分が途中でスイングをやめていた世界線」のパラレルワールドがもしあったとしたら、そこの自分は全く違う人間なんだろうなと思います。
例えば高校時代の自分は人と話すのが少し苦手だったのですが、まあまあ話せるようになったなと自分のことながら驚いています。
部長とかテツとかカンナちゃんとかのレベルと比べたら月とスッポンなのですが、数年での成長と考えるとだいぶ変わったなと思います。
先輩や後輩、接し方が少し苦手なままだったので、悔やまれる点もあります。仲良くしたかったけど話の種が見つからなかったり、話しかけられなかった人は多いです。伝えたいことがうまく伝わらないって悲しいですよね。
例えばプー(やま)さん。ハニーハント事件など先行イメージで、色々彼のことを勘違いしているところがありました。
それに初めて話しかけたときの何を考えているのか全くわからない印象をずーっとひきずっていました。
なので、ブログリレー見てけっこう共通点あったんだと今更はじめて知った点も多いです。この1年があったら、今頃飲みに行ける仲とかになってたかな。また同期の飲み会とかで話そうね。
【最後の一年間のこと】
部停中は色々なことがありました。運動不足予防に週1でジムに通ってランニングをしたり、楽器の練習を家で壁ドンに怯えながらやったり、留年が決まったり…
まず話すべきは留年の話でしょうか。リモート講義は卒業かなりギリギリの履修計画&就活&課題をこなすのが苦手の三重苦で大変でした。
とても恥ずかしながら宿題が期日通りに出せない子がそのまま大学生になっちゃったような人なので、春学期はたくさん単位を落として留年が確定しました。
こんな人が実は愛学に特待で入学してたなんてとても言えないし、同期とか学部の友達にネタにされて多少悔しい思いをしたので逆にこれはいいバネを手に入れたのだと今では思います。
苦手なことをやれるようにするのはとても辛いものです。だけどこれはできるようになるチャンスだ!とポジティブに捉えました。
秋学期は課題が出た当日か翌日には出すと決めてコツコツと課題をやっていました。今学期はとても頑張ったのでフル単!のはず!
運動不足の話は自粛や在宅あるあるの問題ですね。住まいの周りが畑だらけなのもあり部停だからといってバイトにそう入れるわけでもなく、家を出る時間や頻度は間違いなく減りました。
そこで生活習慣病やらになりたくなかったので運動を週1で始めました。もともと運動は得意ではありませんでした。ですが走るのが楽になったのを感じたり、姿勢が良くなったと言われたり。
思ってた以上にメリットが大きいのでやってみると意外といいものでした。200円×25回の回数券がいつのまにか最後の一枚を使い切って達成感を感じました。
練習の話。実は3年生あたりから別で社会人バンドに入っていて、最後の1年間は週1でバンドの練習に通って過ごしていました。
結局会場自体が廃業になったり第三波で中止になったりでそっちも本番は結局ありませんでしたが、家で苦情に怯えながら(来てない)ごくまれに練習してみるなど情熱は冷めぬままでした。
【スイングに入ったきっかけ】
自分はもともと、音楽をそこまで好きではありませんでした。中学で吹奏楽部に入って、高校でも吹奏楽部に入って引退まで続けました。ですが自分が聴いたことがある曲、演奏予定の曲ばかり聴いてあまり自分から能動的に曲を探して音楽を聴くようなことはありませんでした。
ただ、高校の途中でサックスを始めて同じ楽器の同期や後輩はみんなソロをやったのに自分だけ一度もやれなかった。周りは中学から同じ楽器でやってる実力者、対して自分はCl,BCl,BSax,Cb,CBCl,ASax(略称)と6種類の楽器をコロコロやってきた人なので当然と言われればそうですがサックスやったからには自分もソロがやりたい、そんな小さな心残りが僕をスイングへと繋ぎました。
ビッグバンドだと大体1曲に1回はソロがあるので「これは入ればソロが回ってくる」と思った、そんな下心がスイングに入部したきっかけです。体験入部の2週間前から練習日に顔を出して見学していました。
実際にソロを初めてやったのは1年生の合宿のコンボのときでした。耳コピからアドリブソロなど色々試行錯誤するうちに知らない曲を探して聴くようになりました。
ビッグバンドでは2年生、その名を口に出す度にタイタンが発狂するLove For Saleで初ソロをやってついに念願のソロ。
長年の願いが叶った!と思いきや後で録音を聴くとあんまり上手くいってなくて、何十回と音源を聴いたり基礎練から見直したり色々研究している自分にふと気がつき、いつのまにか音楽を好きになっていたんだと感じました。
【やりたかったこと】
それにしても、部停や時短営業、外出自粛など長いこと本当に暗いことばかりな世の中ですね。それに先行きも見えない。喉元過ぎれば熱さを忘れるとは言いますが、この辛さを忘れられる日は来るのでしょうか。
早く「あのときは大変だったね」とお酒でも飲みながら笑い合える日が来るといいなと願わずにはいられません。
やりたかったことはいっぱいあります。成仏させるために1つずつ挙げていくと、
・新歓演奏でソロをやる予定だったので、新入生にサックスの魅力をたくさん伝えて勧誘したかった!
・東海大会でブルスタの同期とバトル!という展開がすごく楽しみだった。
・去年のリサイタルでは自分の実力不足を感じたのでもっと最高のリサイタルをつくりたかった!
・実は去年コンボバンドを他大の同期の子と作ったけど一度もできなかった
・合宿
まさか去年のリサイタルが終わってから、いつも通りの通常練習ができる日が2度とこないなんて思わなかった。
コロナで得られたものも少しありましたが失ったものはあまりにも多すぎて、しかも取り戻せないものばかり。
特に自分たちは文字通り『幻の世代』になってしまったなという喪失感が大きいです。
同期で一緒にいる時間がとても好きで、練習が終わったあとに自転車を転がして話をしながら藤が丘まで同期たちと向かうあの時間が、もうたまらなく好きです。あれができないことが悲しくて仕方ないです。
過去に戻れるとしたらかつて学歴コンプレックスに陥って仮面浪人なんて考えていた1年生の頃の自分にお説教したいですね。
こんな最高の仲間と出会っていたのに、なんで気づかないんだって。そうすればもっと長い時間一緒にいられたのに、自分のバカ。
今ではこの大学に入って同期の仲間たちに会えたことは最高の出会いだったので、愛学に入ったのは一つの運命だったと思っています。
今思い浮かんだ身内ネタが四天王ネタとか。メンバー誰だっけ?ぐっさんとぷーさんと、アマノとゆうや?1年生のときの話でさえ思い出せて微笑ましい気持ちになれます。
それに中途半端な別れになってしまった学バン同期のみんな、このままさよならなんて寂しすぎる。また集まったりとかしたいな。
今自分ができることといえば、音楽を続けることくらいです。
音楽って一生続けられる趣味だからやめるなんてもったいないものね。僕は続けることにするので、いつかまた例えばビーハッピーとかで会う日が来たら、そのときは仲良くしてくれると嬉しいです。
【未来の世代に向けて】
未来の世代に向けて、まず謝罪しなければならないことがあります。
それは自分たちの世代でさえサックス隊の人数が少なくて大変の予定だったのに、コロナ禍で勧誘ができず新入生はほとんど増やせなかった。
だから次の世代はもっと大変であるということです。大変な状況のまま引き継いでしまって申し訳ない。
ただ、自分が音楽を好きになったこの場所を失ってほしくない。これから未来スイングに入る人が、もっと音楽を好きになる場所であってほしい。自分が引継ぎ式で4年生になったとき、そんな思いがありました。
だからスイングをこんな流行り病なんかに終わらされてほしくない。
この大変な状況から復活して、いつかスイングの親睦会で現役の子達が楽しくやっているのを見たり、同期と集まって押しかける日を楽しみにしています。
以上をもちまして、僕の分のブログを締めさせていただきます。
長々となってしまいましたがご愛読ありがとうございました。
次はスイングに教育実習、そして掛け持ちバイトなどと何足もの草鞋(わらじ)を履いてきたあの方です。
次回作にご期待ください。
こんにちは!初めましての方ばかりだと思います。B&B orchestraからやってきました。テナーサックス のもなかです!
4年生からトラとして入って1年だけお世話になりました!とは言っても、ことごとくイベントが無くなり、ちゃんとした活動ができてないからか、なんかほんとに自分がスイングにいたのか不思議な感じです…でも、上下白に赤ネクタイをしたからスイングにいたんだなって思います笑
まず、私がスイングに参加することになったきっかけは、ぐっさんとゆうやくんがBBの見学に来てくれた時に「来年サックス誰か来てくれん?」と言ってくれたことです。BBは3年で終わっちゃうから、もう少しどこかでやりたいなってちょうど思っていました。また、いつもスイングの演奏を客席から聴いてて、ほんとに楽しそうで混ざりたいなぁって思って見ていたので、参加できることが決まって嬉しかったです。
スイングに参加すると決まってから、私もそこに参加できる楽しみ半分と、BBとは全く異なる環境でやる不安が半分でした。
その中で仲良くなれるかがほんとに不安でした。でも、これから飲み会あるし、イベントたくさんあるし、仲良くなれるでしょ!って思ってたらそんな機会も無くなっちゃって…だけど、みんなが気を遣ってLINEや電話をくれたり、練習の時にいろいろ話しかけてくれたり…お母さんにみんなが優しすぎるっていう話を何回もしました笑
そのおかげで気楽に参加できました!ありがとう!
最後に!
同期のみんなへ
参加できたのは1年だけだけど、みんなのスイング生活に1年でも関われたことで、この先も繋がりができてほんとに嬉しいです。コロナが落ち着いてからお酒でも飲めたらいいなって密かに思っています。1年間ありがとう。
次はBBにいた頃から何回も笑わせてもらいました笑サックス隊のあの人です!
こんにちは!中部大学のかにえです
あまり覚えがないかもしれませんが、サックスを吹かせていただいてました。
どうして他の大学なのに愛学にいるかっていうと、自分の大学だけでは不完全燃焼でまだ学バンを続けたいって愛学の人に言ったらありがたくも誘ってくださったおかげですね。入るときには悩んだけどとても嬉しかったです。
愛学に入るってなったとき、中部と比べて人数もすごく多いし、部員全員覚えられるか、演奏についていけるかなっていう不安が1番大きかったです。1番楽しみだったことは年明けに毎年やってる運動会?でした。
だけどそんな不安や楽しみも束の間、活動停止になってしまったせいで演奏会も行われず、就職活動もなかなかうまくいかないしで大変な一年でした。
だけど、同期の人は遊びに誘ってくれたり、数少ない練習日にご飯食べに行ったり楽しい日も送れました。
どこの大学もそうだと思うけど、今年一年全然活動できずストレスが溜まることもあったと思いますが、それでも辞めずに続けられた人たちは今後何があっても続けられると思うし、今回の出来事も一つの思い出として笑い話にできるようになっていくといいなって思います。
最後にせっかく入ったのに、全然学バンの知り合いを増やすことができなかったことだけが心残りです。大学生活は思ってたより短いから色んな人と知り合って楽しくすごせることを願ってます
明日は学バン同期の中でも酔うとやばいと評判のあの方です、もっと遊びに行ったりできたらよかったな
お疲れ様です。
ご無沙汰しております。トロンボーンのパートリーダーを務めました、4年のやまです。
今年度は残念ながらイベントはほぼゼロ、通常練習もままならない状態で本当につらい時期でしたね。
来年度はよくなっていればいいですが、先行きが見えない状態でまだまだ油断はできません。
現3年生も来年も不安でならないと思いますが、無事にリサイタルを開催して引退できるそんな幸せな卒部を目指して頑張ってくださいね。
せっかくこういう機会があるので、ここで少し自分のことについて語らせてください。
長くなると思いますが、読んでくれると嬉しいです。
一つ前のタイタンのブログで最後のバトン渡しのところでありましたが、イジりに対して鋼鉄の精神みたいなこと言ってましたよね。実は昔はイジりなんてほんと大嫌いでしたし、小学校とか中学校とかの頃は 冗談とか全く通じないような今思えばすっごいつまらない人間だったんですよ。まあよく言えばバカ真面目とも とらえられるかと思うんですが。それもあって特に中学校の頃は向こうからしたら全く悪気のないような一言にも 勝手に傷ついて、最悪学校にも行きたいくないとかそういう状態になってたんですね。いわゆる不登校ってやつに 当たるかと思います。これについてはたぶん誰にも言ったことなかったと思います。
母から今でも言われるのですが、このころはすごい痩せてたのにねーってすごい言われます。
中学のこの一見があったころから自分のキャパを気にせずにひたすら暴食に走っていたんです。
ようはストレス太りってやつですね。
中学は実は写真ないのですが、小学校なら写真多少見つかったので、見たかったらそのころのやつを見せますよ。なんかほげーって顔してますけど笑
もうちょっと語りますね。僕中学3年になるちょっと前に東京から父親の転勤先だった三重県に引っ越してきたんですが、東京の友達には「父親の仕事の都合で」みたいな理由をつけて引っ越した記憶があるんですが、実をいうと引っ越した理由 は僕都合だったりします。多少は仕事都合も絡んではいたと思いますが、大まかにはそれだったと記憶してます。
ですが、そのころは勉強に対するモチベーションがすごく低下していました。
中学校1年生の頃は進学塾(東海圏で言うなら秀英くらい?)に通っていました。
クラスは二つあって、普通クラスと特進クラスみたいな分け方だったと思いますが、その時はなんか上のクラスにいましたね。
で、中1の頃にはすでに高校一覧みたいな本を渡されて、それを見て高校を考えていたのですが、当時の中学の先生からは「君にはまだ早い」と言われて一気にやる気がなくなったって感じです。
そのせいで行った高校もまあ偏差値はやばかったです。
授業内の勉強をしてれば学年10位以内とか余裕なくらいでしたから。で、大学も適当に入ったんですね。
話は少し変わりますが、実は僕はここまで頑なに自分の出身高校を言ってきませんでした。おそらく、「三重県内の下の方だよー」
などと言って適当にあしらっていたと思いますが、それはかつては進学塾に通っていて、中学の勉強を先取りで教えてもらっている優越感を得ていたのに、今ではただのバカっていうそういう羞恥心からあるものなんです。
ちなみに、僕の当時の東京の友達は都内の名だたる私立大学とかに行っていたりしますよ。さすがですね。
少し話が脱線しました。
ここまで読んでくれた人なら察してくれたと思いますが、当時の僕はプライドがバカ高くて、
自分の都合が悪くなると逃げてしまうような弱虫だったんです。
そして大学に入学し、なんだかんだグダグダと引っ張ってきた音楽をなんとなく続けるという曖昧な動機でスイングに入部しました。
それが僕の人生の転機となったと思ってます。おそらく、スイングに入らずに音楽を打ち切っていたら逃げ癖且つバカ高いプライドは治らなかったと思います。
おそらく僕の逃げ癖、プライドが治ったというか、ましになったというかそういう出来事があったんですが、僕は2年生かそのあたりで音楽のモチベーションがほぼゼロになってしまって、「音楽やりたくない。」っていうテンションになってた時期があったんです。
これについては今でも覚えているのですが、しんしん先輩にこのことを言ったことがあるんです。その時に先輩が言ってくれた「音楽から少し離れた方がいいんじゃない?」というニュアンスの言葉をかけてくれて、その時に僕の中になんとなくしこりと なっていたものがなくなった気がしたんです。結局その言葉とは裏腹に音楽からは離れられなかったんですが、その出来事が僕の
逃げ癖、プライドという一種の呪いを祓ってくれる大きなきっかけになりましたね。間違いなく。
実はここまで第三者に対してこれらの出来事を相談したことってなかったんです。
誰にも頼らずに自分の力で解決してやるって意識が強すぎたんです。
おそらくはこのあたりまではバカ高いプライドのせいで、「自分は何も悪くない」「誰の助けもいらない」と言い聞かせてきたんだと思います。
母親とかには相談していましたが、それでも自分で抱え込むことが多かった僕にとっては第三者に相談するという何でもない行為は大きなターニングポイントだったと思っています。なので、しんしん先輩には本当にお世話になったと思います。
ありがとうございました。
たぶんこのあたりから同期のイジりにも寛容になって、あまり何も思わなくなりましたし、先輩方ともお話をすることが増えたと思います。
結果論ですが、たぶん昔のように自分で抱え込んでいたらスイングはとっくにやめていたと思います。
何なら山野や東海といった大きな舞台に立つことなく学生生活を終えていたとも思っています。
ふわっとした動機で入ったスイングですが、今では多くの出会いや出来事があったからこそここまで続けてこれました。
長かった自分語りはこれで終わりです。お付き合いいただき、ありがとうございました。
~お世話になったトロンボーンの先輩方へ~
本当にお世話になりました。最初はなんで同じ隊に同期がいないのかとずっと思っていましたが、その分先輩方から吸収できたことは多かったと思います。特に初期なんて、あまり自分からしゃべりに来ないし、 「なんなんこいつ、つまらんなぁ」とか思ってたかもしれませんが、今ではそんな僕に根気強く練習に付き合って くださったことに感謝しています。お忙しいことと思いますが、いつでもご飯のお誘いや、ちょっとした近況話などなど お待ちしております。こちらからもまた連絡させていただくことがあるかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。
最後となりましたが、僕から言えることは一つです。自分の納得がいく人生を過ごしてください。
冒頭でもお話ししたように、僕は人生の良し悪しでいうのであれば悪い方を歩んできた人です。
そんな僕でもこうやって大学の卒業を控えて、社会人としての人生を歩もうとしています。
しかし、数十年ある中で嫌な出来事もあると思います。そういう時は自分ひとりで何とかしようなんて考えずに身近な人へ相談してみてはいかがでしょうか。たぶんこんな10年近くを歩んだ僕が言うことなので、その言葉の 重みはそこそこあると思いますよ。
自分の経験談からいうのであれば、プライドが高くたって大したメリットなんてありません。もしかしたら自信には繋がるかもしれませんが。
しかし、プライドの高さが原因で戦意喪失するようなら、そんなプライド捨ててしまえ!!
逃げ道なんて自分に言い訳してしまえばいくらでも出てきます。僕の例で言うのであれば「あの時冗談で言ってきたあの一言を言った友達が悪い」とか。人のせいにするのは簡単ですが、本当にそれが相手が全部悪いのかどうか考えてみてから 行動に移してみたらどうでしょうか。ただ自分が正義だと適当な理由をつけて正当化したいだけじゃないんですか?
誰かに相談するっていうのは決して逃げではありませんよ。
っと、当時の僕に向けた今の僕からのメッセージも兼ねてこの場をお借りして綴らせていただきました。
最後の方はスイングのことかどうかもよくわからない、まるでしくじり先生のような内容でしたが、僕のブログはこれにておしまい。
お次は、サックスもドラムもできちゃうマルチプレイヤーなあの方です!!
皆さん、おはこんばんにちわ
ブログリレー4番目を担当するのはトランペット隊パートリーダーを務めさせていただきました、タイタンこと山下大地がお送りします。よろしくお願いします。
かんなちゃんのブログ見てしそ焼酎ってなんやって思って調べたんすよ、鍛高譚(たんたかたん)ってやつですね。お酒は一切わからないのでまた1つ勉強になりました
さて、ブログリレーが始まりましたね。引退へのカウントダウンです。僕は内容まとめるの下手だし、文量くそ多くなると思いますが大目に見て欲しいです。(目指せ文量1位)
てか3人目までしか見てないんだけどクオリティ高すぎません?こんな中身のある文書けません笑精一杯4年間の思い出を綴ってくので暇な時にでも読んでください。
僕のスイングとの出会いは勧誘からで、どっかから勧誘されないかなーってあの坂をプラプラしてる時に女性の先輩方に声をかけられホイホイ着いて行ったのが始まりです。理由が不毛ですね
ブースで話聞いてからすぐ図書館に入ってTwitterでスイングのエゴサしたんですけど、とても楽しそうでここなら楽しい思い出作れるかなーって感じたんです。「一瞬で奏でた音が一生の仲間をくれた」みたいなフレーズがチラシに載ってたんですけどこんなん見たら全集中しちゃうでしょ。もうその瞬間にノリで入部を決めましたね。決めた後は何回も部室に通い詰めてた時期が懐かしいです。
人生本当に何が起こるかわかりませんね、まさか自分が音楽を始めるとは思わなかったです。特にやりたい事がなく、適当にスポーツ系のサークルに入ってのんびり過ごすんだろうなって頭の中でぼんやりと考えてましたが、ジャズっていう新しい世界に飛び込んで行ったのは勇気ある行動だったなと感じます。
スイングの数ある楽器の中で僕が選んだのは吹くのが一番難しいらしいトランペットで、たまたま音が出ただけでやってみようと考えた当時の僕は少し頭が悪かったのかもしれません。むずいしね
でも結果的にトランペットを選んだのは正解だったと思います、いやマジで
トランペット隊の先輩方にはとてもお世話になりました。「調子はどう?」とか「一緒に基礎練やろ」と積極的に接してくれてたのがすごい嬉しかったです。雑談も交えながら丁寧に教えてくれたあの時間が楽しかったです。曲に追われて忙しいはずなのに練習時間を割いて僕らの面倒を見てくれていたことを考えると本当に感謝してもしきれないです。
でもやっぱり楽器は難しいなと感じます。今だってよくわからない事ばっかりで、リズム感とか技術面も不足点ばかりです。みんなが中学や高校でやってきた事を大学生になってから始めたやつが追いつける訳ないんです。初心者の僕はついていくのに必死でした。メンタルが強いわけでもないし、うるさい音出すくらいしかできないので悩む時期は結構ありました。後輩達が入ってきて自分の下手さを再認識し、焦る気持ちを抑えながら先輩として関わっていくのはやはり複雑な気持ちでしたね。その時支えてくれた周りの人たちには感謝しかないです。
ちょっと話が重くなったので切り替えます笑スイングに入りたて当初は学校の課題とトランペットの練習に追われる忙しい毎日を送ってました。毎週のように出る課題をこなしながら、先輩からは(理不尽な)お叱りを受けつつ雑用係として走り回る…よく辞めなかったわ。とにかく初めての事ばかりで慣れるのに必死でした。あと同期全員と話すまで時間がかかったの覚えてます。
あとはイベントの多さに驚きましたね。僕が一番好きなイベントは9月合宿です。夜遅くまで仲間と話し込んだり、星観に行ったり…サイコーに青春してるよね。ハーゲンダッツの自販機に居座り、先輩に奢ってもらう気満々の同期が何人かいて笑いました。普段話せない人と関われる数少ない機会でどのイベントよりも好きですね。ペンション平川さんまた泊まりたいな
2年生になって少し学生生活に慣れた頃、ブースで弁当を食べながらひたすら女狙うぞ作戦で勧誘頑張ってたのが良い思い出です。ブースで話した子が入るって言ってくれた時は最高に嬉しかったし、あの勧誘の時期のけやきテラス付近の賑わいが祭りみたいで最高に好きでした。
また同時に2年生は辞めたいと思う時期が何度かありました。主に要因が2つあります。
1つ目は連盟です。そこそこ重荷のある役職に就いたせいで少し心が荒んでましたね。わざわざ中京大学まで行ってキャンパラやオータムのスケジュールを決めたり、会場の予約やら大人の方との関わりやら大変で…ストレスやばかったです笑
なんとか成功させるために必死で周りがあんまり見れてなかった気がします、ごめんよ連盟同期。でも学バンのみんなと仲良くなれるキッカケにはなったので良しとします。あ、あとこれだけは言っときたいんだけど合バンはみんなもっと参加して欲しいです、連盟の負担がでかいです笑
2つ目はLove For Saleです。ずっと言ってるし周知の事実だと思うんですけど、マジで1年間自分を苦しめたトラウマ曲でして、楽器経験の浅い僕にとっては初めてぶち当たった高い壁でした。でも曲を繰り返し聞く事の大切さを教えてくれたのはこの曲のおかげかなって思います。
ちな孔明とはこの時少し仲が悪くなってしまってました。ダメな所を指摘されても理解できなかったり、そもそもスイングに対する価値観に差があったり等…今となっては笑い話だけどすごい大変な時期でした。
あっ今は仲良いですよ??多分
3年生はとても充実してたと思います。もう少しで先輩がいなくなってしまい自分たちの代になる事に期待しながらも、もう少しで先輩と演奏できなくなるのかと悲しみを感じながら過ごしてました。
あとは東海大会に出させて貰えたことが個人的にすごい大きな出来事でした。正直いうと大会とかには出たくなかったし、部活に情熱をフルで捧げれない人間だったので練習中は辛かったです。だけどトランペット隊で優秀セクション賞が取れた時は少し努力が報われたようで本当に嬉しかったです。最初で最後の大会だったけど後悔はしてません。
ここまでダラダラと書き連ねてきました(ここまで見てる人いんの??)がここまでやめずに頑張ってこれたのは多分リサイタルを経験したからだと思います。
実は1年のリサイタルで自分の出番曲が終わった後急に1人で泣いてしまったんです。曲が上手く吹けなかったからとか、先輩との別れが寂しいからとか色々あったと思いますが、こみ上げる涙を拭きながら「来年も絶対この舞台に出たい」って気持ちが自分の中で固まったのを覚えています。
だから27万もするトランペット買えたんだろうな、最後まで辞めずに続けるための理由づけみたいな感じで笑
引退後はしばらく置き物になると思うけど、暇な時吹けたらいいな。
最後に、今年について書こうかなと
ついに自分たちの代となり、前の先輩の代より楽しい1年過ごせたらいいなと思ってましたが、まさかこんなことになるとは。当時イギリスにいたときに部停の連絡が来た時は「まあどうせすぐ再開できるよ」って思ってました。ダメでしたね
この1年間何してたんだろうと思い少しスケジュール帳引っ張り出してきたらイギリスから帰国後すぐに就活が始まり企業からのお祈りメールに意気消沈し、ついでにGUのバイト始めて学部の友達やペット隊とかとリモート通話してたくらいです。春学期はほんとそんくらいです。
9月くらいからは数人と少人数での外出が増えました。奈良や高山などを巡ったり学部の奴らとはグランピングをしました。感染はしてないので合法です。
スイングの活動があったらできなかったような事がたくさんできましたね。家に引きこもりゲームを進めたり、鬼のようにバイト入れたり…普通の大学生の生活がようやく送れたような気がします。でもクソ忙しいスイングの活動がいかに楽しかったか、再認識しました。社畜なくらいがちょうどいいんでしょうね笑
そして部活が再開しリモート演奏が始まりましたね。モチベが消えてた人はいるでしょう。僕もそうでした。パーリーだけはモチベを下げないでいてと上からの指示でなんとか思い留まっていましたがやってる事が業務的でキツかったです、いつ逃げ出そうかと考えてたくらいです。
でも今の自分たちにできる最大限の事はしたつもりです。何しろスイングが消滅する事なく来年の子に引き継げれたのは良かったと思います。まずは勧誘頑張ってくれよな。
あ、みんなへのメッセージはLINEで書けたら書きます。
・先輩方へ
本当にお世話になりました。どの年の先輩も上手いし優しくて憧れでした。こんな捻くれ者を暖かく見守っていただき感謝しかないです。
あとはご飯にたくさん連れて行って貰いましたね。スイングの闇をたくさん聞いたり、美味しいお店教えてくれたり…おかげで後輩にご飯奢る際にネタにさせてもらってます笑
これまでお世話になった分、後輩に恩返ししてきたつもりです。スイングを選んで本当に良かったですれ
・同期へ
改めてみんな4年間ありがとう
楽器経験者が多く、数少ない初心者の僕は肩身狭かったです。たまに話についていけなくてやめようと思った時期が何度かありました(ガチ)
あとは飯に付き合ってくれる人が多くて俺は嬉しかったよ。相談したり相談に乗ってあげたりしたのも良い思い出です。全員何かしら尖ってる部分があって面白かったし飽きませんでした。身内ネタばかりの最後まで個性たっぷり集団で自分は埋もれてしまいました。てへぺろ
・トランペット隊のみんなへ
部活の活動がままならない中、こんなパーリーについてきてくれて本当にありがとう!
トランペット隊はリモート通話会開くよーって直前に言ってもみんな参加してきてくれたり、やりがいのない練習方法なのに、嫌な顔せず録音にも協力してくれて本当に心強かった!仲の良さはどの隊よりもダントツで良いと思ってます!笑
なぜか役職持ちが多く、別の隊の人達よりも苦労してる子が多いイメージです。ちょっと心配です、キツくなったら他の人頼るんだぞ
実はパーリーになる際、1つ目標を立ててました
"限りなく身近な先輩になる"事です。楽器の技術では勝てる部分は少ないので人間的に頼ってもらえるパーリーになりたいなと考えての目標です。
目標は達成できてるかな?できてたら嬉しいです。
・後輩達へ
今までありがとうね、クセ強い可愛い後輩ばかりで話をするのが楽しかったよ!
隊が違うのにご飯を奢ることが結構多かった気がするど行けて楽しかったです。行けなかった子ごめんね
後輩達に1つお願いする事があるとすれば先輩はもっと後輩を気にかけてあげて、後輩はもっと先輩を頼ってあげて欲しいです。これ超大事だと思ってます。
今はご時世的にみんなで集まることは難しいけど、一人一人がスイングに向き合うことはできると思うんです。誰かに任せきりでどうでもいいやって人もいると思うんですけど、もっと互いがお互いをもっと助け合っていってほしいです。
僕らの代は助けることができなかった同期が何人かいます。今更後悔しても遅いし、みんなには俺らの代みたいな事態にはなって欲しくないから全員が協力していくことから始めていって欲しいです。必ず活路は見出せると思います。応援してます。
本当に文量やばくない?大丈夫?
流石にここらへんで終わりにしたいと思います。
もっと簡潔に要点だけをまとめて書こうかなと思ったんですけど、自分には無理でした笑
このスイングで過ごした4年間は一生の宝物になると思います。ついたくさん書いてしまいましたが自分なりの言葉で思いを綴れたと思います!この4年間での色んな人との出会いがいい経験につながると信じてます。みんなとまた会える日を楽しみにしてます、ありがとうございました!!
次は数多のあだ名を持つ、性別詐称40代マダムの…この紹介はやめます。
早口で耳遠いけど優しく、どんないじりにも屈しない鋼のメンタルを持つ腰痛持ちのあのお方です🧸🍯👵
どうも皆さん。
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
3年生で引退する異次元系男子、カンナです。
あ、本名はシークレットです、異次元系男子なんで。
僕の番らしいので、さっそく書いていこうかなと思います。
まさかもう自分が引退だなんて、時が過ぎるのは早いですね。
ピカピカの1年生としてスイングに入部し、当時の4年生の先輩に「名字が橋本だから橋本環奈だ!じゃああだ名はカンナちゃんね!カンナちゃんがいい!」とあだ名を決めていただいた事がまるで昨日のようです。
あ、昨日は言い過ぎました。時間が過ぎるのは早いなってことが言いたかっただけです。
これね、うちの部長のシバタ君がね、こーゆーのに対してすぐツッコミ入れてくるんですよ。「昨日なわけないだろ!」とかいって。だからちゃんと言っておかないと。はぁ、めんどい男やでホンマ。
えー、話を戻しまして、
僕は小学生からドラムやってて高校でビックバンドを始めて、大学でもできたらいいなあなんて軽い気持ちで入部しました。
だから入部当初は正直スイング自体に特別な思い入れがあるわけじゃなくて、「先輩荷物持ってたら代わりますって言いに行きな!」「部活は休んじゃだめだよ!」みたいな雰囲気に、大学生なのに縛り強いなぁ、しんどいなあ、とか正直思ってました、ほんとにごめんなさい。
しかも楽しくないこともたくさんありました。だって曲難しいし、バイト入れんからお金ないし、なのに部費とか合宿費とかぁ、まじ勘弁🙏
でも部活に所属し続けて頑張って練習してく中で、スイングが自分の居場所だなあって感覚に自然となっていったんですこれが。不思議。
そしてどんどんドンドン楽しくなっていきました。
もう去年とかやばかったすね、ファイヤーって感じっす。
でもそれは、沢山のOB含め先輩方、同期のみんな、後輩のおかげだと思ってます。
本当に感謝してます。ありがとうございました。
本来であれば、この場をお借りしてお世話になった先輩方皆さんに感謝をお伝えするべきであるとは思いますが、僕の性格をご存知の方なのであればお察しの通り提出の〆切間近で、というか〆切過ぎてて時間が足りません、ほんとにすいません。。。
感謝は念じてます。感じ取ってください!
たださすがに時間なくても、ドラム隊の先輩方にはひと言だけになってしまいますが、言わせてください。
エマ先輩
ドラム人生で初めて出来た目標でした。一生尊敬してます。ありがとうございました。
おすぎ先輩
クロークで頂いたストレス発散マシーン、部員一同で使わせていただいております。おすぎ先輩の優しさに何度も救われました。ありがとうございました。
さつきくん
最後にもう一回一緒にタバコ吸いたかったです。スイングで喫煙の魂は消えてません。伝承してます。ありがとうございました。
かちめぐ先輩
永遠にドラム隊の母です。感謝を伝えても伝えきれません。てことで好きです結婚しましょう。連絡待ってます。
それと本来なら後輩へのメッセージとかも書くんでしょうが、やめます。
他の同期のみんなの方がいいこと書くと思うし、
キャラじゃないんで卍
ドラム隊に関しては後輩じゃなくてマブだから卍卍
言葉とかまじいらねえから卍卍卍
はい。
同期もいいや、いやまじ4年間アザス、押忍。
ぶっコロナしたら飲みにいきましょう。
いや、ほんとは最後まで真面目に丁寧に書くつもりだったんですよ、ほんとに。ただ今もう午前3時半なんすよ、眠いっす僕。
要するに、
楽しかったです4年間。
ありがとうございました!
以上
はい、僕のターンは終わりましたということで、次回はあの人。
しそ焼酎って感じ。爆笑問題の所属事務所って感じ。
お楽しみに🎺
こんにちは、お久しぶりです、元気です、ともです、ピアノの人です、覚えていますでしょうか…
どうでもいいですが、ハクにクールな人と思われていたの何気にびっくりしてます。
2番目ということを急遽知り、マッハでこの文章を書いています。
今年はこんな状況で、練習もほとんどなく、色んな人と他愛もない話すら出来なかったので、これが最初で最後の、自分のことをきちんと伝えられる場だと思って、ブログというより手紙のつもりで書きます。
思いつきで書きたいことを書きまくっているので、内容重たいし長くなります。長くなるので、ほとんど見る人はいない、と信じて、とりあえず後悔のないように好きに書こうと思います。
とは言っても、何から書けば良いのか…
とにかく今年度は今まで経験したことないぐらい、つらくて悲しい1年でした、っていうのは部員全員同じだと思います。
全員は言い過ぎました。8割強ぐらいの部員は思っていると思います多分。
今までが充実しすぎていて、この日常は当たり前で、4年間ちゃんとあるものだと思いながら過ごしていました。3月頃から練習が無くなり、イベントもどんどん中止になり、活動に参加しない部員も出てきたり、今までのスイングの生活では考えられないぐらいのどん底を味わった感じで、大げさかもしれないけれど、この1年が今まで生きてきた中でも1番生きた心地がしなかったです(笑)
悲しいとか、つらいとか、最初に書いたけれど、その言葉だけでは表現しきれないぐらいの、自分でもよく分からない気持ちがずーっと今でも残ったままです。
正直、練習は嫌いだったし、何回かサボって休んだこともあります。今回活動自体が無くなって、個人的には前から行きたかった所に沢山行ったり、気ままに就活したり、ひたすらバイトをしたり、とか、人生で1番自由な生活が得られました。でもどれも楽しくはあっても、何かが足りないし、満足感があまり無かったです。
自由になるお金とか時間とか、沢山あるには越した事は無いけれど、それ以上にスイングという存在があってこそだなと気づきました。
例えばわたしが好きな写真だとか洋服だとか、入りたての頃の自分だけだったら、ここまで好きにはなっていませんでした。ここの人たちが、わたしの好きなものを否定せずに分かってくれたからです。
昔から目立つことがとにかく嫌いだし、何かを素直に表現するとか言葉にするとか、死ぬほど苦手です。それもあって、高校では友達が出来ず、大学で新しく人間関係を築く(?)こととかも諦めていたし、そもそも第一志望の大学に落ちて、担任に勧められるがままに適当に入った大学なので、本当に何も期待していませんでした。
でも小学生の時にピアノ、中学の時に吹奏楽をやっていたこともあり、音楽系のサークルや部活には興味があって、管弦楽団か吹奏楽部か、はたまたスイングか、迷っていました。
その時、たまたま勧誘でもらったチラシのデザインがとても自分好みで、とにかくキラキラして見えて、惹かれるように話を聞きに行き、部活見学に行って、直感で「ここだ!」とすぐに決めました。楽器も最初からピアノ一択だったので、楽器体験も行かず、ゲリラ演奏も聴かずに決めました。ゲリラ演奏は存在自体知らなかったのですが…。
新歓は楽しくて、雰囲気が本当に良くて「ここなら大丈夫だ」と安心したのを覚えています。何が大丈夫なのかは分かりませんが。
あ、これって新歓のブログリレーで話すことですね… でも今回はちゃんと後悔のないように全部書いておきます。
でもそれだけ、最初からこの部活に大学生活を懸けていたんだと思います。たしかにこれだけの人がいれば、合う人合わない人、何となく好きな人嫌いな人、沢山います。
わたし自身、とにかくわがままで気まぐれで自己中でひたすら扱いにくい人間です。もし自分が別の人間だとしたら、こんな人とは絶対に友達にはなりたくないぐらい嫌な性格です(笑)
でもそんなわたしでも、ここの人たちは受け入れてくれました。同期やピアノ隊の人は特に振り回しましたが、それでも見捨てないでいてくれました。その時は気づかなかったけれど、わたしはだいぶその優しさに甘えていました。
そして、結果わたしが何か部活に貢献できたか、っていうと本当に何もせずに終わってしまいました。
今年やりたかったことはいくらでもあります。部Tのデザインも決めたかったし、やりたい曲もあったし、後輩と同期と一緒にご飯とか遊びにも行きたかったし、写真も数え切れないくらい撮りたかったし、合宿もしたかったし、山野も出たかったです。リサイタルは言うまでもないです。
でも、もし仮に今まで通りの生活のまま今日を迎えていたら、こんなに普段の練習の有り難さに気づけたかというと、あまり自信がないです。
スイングがどれだけ生活の中心であり、自分の中では大きい存在だったかも最後まで気づかないまま、、、
と そこまではいかないかもしれないけれど、少なくとも引退直前まではあまり意識しないと思います。
去年の夏頃にSNSを一旦すべてリセットした時、このまま逃げようかな?と思いました。活動再開の目処も立たないのなら、このままスイングの人とさよならも出来なくない、、と考えました。
でもわたしには、入部したての頃に立てた目標のこととか、ここの人たちのこととか、一気に忘れることは出来ないし、ここまでお世話になっておいて恩を仇で返すようなことはやっぱりしたくない、と思い直しました。あのまま電話番号とかも変えて逃げていたら、今頃後悔しすぎてどうにかなっているのかもしれないです…(笑)踏みとどまれて良かったです。
今現在も、わたしと同じようにスイングのこの状況が苦しくて、いやもしかしたら全く別の理由かもしれないけれど、活動には参加できないと言っている人が何人かいることは聞きました。
わたしも病んだけれど、それ以上なのかもしれないです。好きだからこそこの状況がつらいのはとってもよく分かります。でも自分からスイングの存在を消すことの方がつらいと思います。無理に活動に参加して欲しい、と言ってる訳ではないけれど、OB・OGの立場に今後なっていく以上、まだ現役であるうちはスイングの存在を自分から消すことだけはして欲しくないです。自分らが生まれるずっと前からあったものを、ここに来て流行り病なんかに終わりにされるのだけはして欲しくないから、1人でも多くスイングを続けていて欲しいです。
わたしはここに入ってとっても充実して幸せな大学生活を送れたと思うし、これから大学生になっていく人たちにもこの楽しさは分かって欲しいから、活動は出来なくともスイングの部員でいることだけは4年間続けて欲しいです。
あ、あと!ピアノ隊に向けてもここで書いておきます。
さっきも言ったけれど、わたしはかなりの気分屋でここの人たちを振り回しまくったので、いつも嫌な思いをさせていたと思います。(コンボとかコンボとかコンボとか…)ごめんなさい。
それでなくても、わたしには技術がある訳ではないので自信なんて全く無いし、練習自体がそもそも嫌いだし、優秀な後輩も揃っているので、特にピアノ隊にとってはわたしは居ても居なくても…と言う感じはあったけれど、それでも何も言わずに先輩として見てくれただけで有り難いことです。
わたしらの一個下の代が入ってくる年の楽器体験の日(いや、入部初日ぐらいだったかも?)、ねねののと初めて多目的でピアノを弾いた日のことを覚えているでしょうか?
わたしはねねにコードを教えていて、その傍ら後ろでののがそうげん先輩とてつと一緒にいて、途中、後ろからYouTubeの音源が流れてきたと思ってパッと振り返ったらののがバリバリにショパンの革命を弾いていた、、というのを今でも鮮明に覚えています。わたしは記憶力が悪いので昔の天気までは普通覚えていませんが、とても晴れた日だった気がします。それぐらい衝撃的でした。笑
てつと2人でねねののに対して「ヤバい」とか「怖い」とか、言っていたのが昨日のようです。
最初の頃は正直怖かったけれど(笑)、面と向かってみればとっても2人とも話しやすくて考えもきちんとしていて、それでいて練習熱心で、わたしらには勿体ない後輩たちです。その後に入ってきたヒロシも、今までのピアノ隊の人にはいないようなクセが強いキャラクターで、でも誰よりもジャズに真摯に取り組んでいる人です。わたしは似たような人を知っているけれど、その人も1年生の頃じゃ考えられないぐらい、わたしじゃ到底追いつけないぐらいのスピードで上手くなっていきました。わたしと違って、努力し続けることを忘れないでいたからこそです。後輩3人とも、努力し続けることだけは社会人になっても忘れないでいて欲しいです。なによりわたしのようにはならないように!(笑)
ピアノ隊は変態だの闇が深いだの年齢詐称だの沢山ありますが、それでこそのピアノ隊です。わたしもだいぶ闇が深い人間の1人です。(あ、でもわたしは変態ではないし年齢詐称もしてないです。)
なので他の隊は、わたしには合わないと思います。みんなマイペースで気ままだけれど、誰よりも実はあったかくて強くて、優しい人たちです。
後輩たちは、新しいエレピと共に、もっともっと強くなってね。今度こそ新入生が入るといいなぁ。
最後に、このままだと手紙どころかレポートだしブログ感も少しは出したい…ので、いつも使っているカメラで1番最初に撮った写真です。
最初の頃は1年生ってこともあって(?)、なかなかカメラを外に出せず、9月合宿の最終日 高山観光の時にやっとカメラを出してこっそり写真を撮ったのもいい思い出です。
2017年8月26日、こっからスイングの沢山の思い出がカメラに詰まっていくと思うと、なんだか今でもワクワクして、とっても好きな写真です。
ちなみにこれは家のベランダから見た風景です。
春からはこの風景ともおさらばして、一人暮らしです。
というわけで、岐阜の方々、なにか写真映えするところとか、美味しいご飯屋さんとか、良いところがあれば教えてくださいな。
以上で終わりです。
だいぶ恥ずかしい文章なので、長々と読む気を失くさせるぐらい書きました。でもちゃんと伝えておきたかったことはほぼ全て書けたと思います。
書いてみて分かったけれど、これ書き始めると本当に止まらないです。これから書く予定の同期の人たちはどれくらい書くんだろう…
わたしだけじゃないことを祈ります。
ここまで読んでくださった方の貴重な5分ぐらい貰っちゃいましたが、ありがとうございました!
総じて言いたいことは、なによりわたしらしく居させてくれたスイングのことが大好きってことです💐
最後に、スイングのみんなのご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
次は、1年間パートリーダーお疲れ様&来年も学生頑張ってね!な、あの方…です🥁
どうもギター隊4年でハク、またはセイキンがあだ名の天野竣平です。
もうすぐ卒部なのに最後まで2つのあだ名が共存してたのって何気に凄いと思ってます。
ブログリレーを書こうという流れになったとき、とりあえず他の人の見てから考えるか…と思ったらまさかの1番目で大ピンチ!未だに内容を思いついていないのでとりあえず今年1番の話題のコロナの話でもしようと思います。
コロナのせいで今年は散々な年になってしまいました。授業はリモートになり、就活は延期の嵐…
その被害は部活にも及び、4年生になってついに自分達の時代が始まるとか思ってたら、演奏会も中止、大会もほぼ中止、リサイタルまでも中止となってしまいこのまま部活が無くなってしまうのではないかと不安になりました。
そんな状況下でしたが何とか小規模ながら練習が出来るようになったのですが、練習開始日になっても自分と後輩1人以外に誰も来ない!不安は現実となってしまいました……。
そんなわけはなく開始日を1日間違えただけでした。張り切りすぎましたね笑
次の日にはちゃんとみんな来てくれて、ブランクをものともしない演奏を披露してくれました。その後も短い練習時間ではありましたがどんどん曲の完成度が上がっていくのを実感してとても感動したのを覚えています。
振り返ってみれば大変な年でしたがこんなときだからこそみんなのスイング愛を改めて実感出来るいい機会だったのではと思います。
色々あったスイング生活でしたが自分にとっては幸せな時間だったと感じます。自分の目標となり、演奏面から価値観、楽な単位まで様々なことを教えてくださった先輩方、ときにイジられはしたものの、最後まで自分についてきてくれた後輩達、どんなときにでも明るく接してくれて一緒に助け合ってきた同期のみんなには感謝しかないです。
4年間本当にありがとうございました。
次はピアノ隊のクールなあの御方です!